週報巻頭言 2025年6月8日号 「ペンテコステ~教会の生まれた日」
▲本日はキリスト教三大祭り(礼拝)の一つであるペンテコステ(聖霊降臨祭)です。ペンテコステとはギリシャ語で50日目を示し、主イエスが復活されてから50日目(7週×7の翌日)です。▲旧約聖書では出エジプトの時、エジプトで小羊の血を鴨居に塗っていた家には「災い」が通り過ぎます(この伝統がシルクロード経由で日本へ伝わり「鳥居」になったという説もあります)。◆その後、エジプトでの厳しい生活から脱出した民は50日目にモーセを通してシナイ山で「十戒」が与えられた日として覚えてきました。▲新約の時代になり、主イエスが十字架で血を流して殺されたのが「過越しの祭り」の時と重なり、そこで神の小羊、主イエスの死による「人間の罪の贖い」がなされたという信仰理解が生まれます。▲イエスの「よみがえり・復活」から50日目にイエスの弟子たち、イエスに従ってきた女性たち、イエスの家族がエルサレムのある家の二階(アパ・ルーム)に集まり、心を一つにして祈っているときに「聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」とあるように、キリストの言葉、キリストの業を語り出す群れ、「キリスト教会」が誕生したのです。その有様を記した使徒言行録2章は生き生きと語ります。▲「聖霊」(プネウマ)という言葉を別訳すれば「神の息」「神の風」の意味であり、例えば、笛に息が注がれる時に、その音を響かせるように、神の命の息が人間に吹きこまれるのがペンテコステであり、聖霊は「イエスは主である」という信仰告白を人間に与え、人間はその見えない神の風に動かされ、歩み出す力が与えられたのです。▲隠れ、閉ざされていた弟子たちが、世界に向かって、意味不明な言葉、呪術的言葉ではなく、和解の言葉、赦しの言葉を国や民族の違いを超えて語りだしていきました。▲その日からキリスト教会はイエス・キリストの言葉を大事にし、その言葉を生きる教会としての歩みが始まりました。▲聖霊は、主イエスの言葉を想起させ、我らと共にうめき、伴い、万事を益とするように共に働く方であり、その命に私共も生かされ、教会をたてるのです。(献)
週報巻頭言 2025年6月1日号 「6月第2日曜は花の日礼拝です」
▲6月第2日曜日は「花の日」礼拝です。「花の日」は169年前の1856年、米国マサチューセッツ州チェルシィ市にある教会のレオナルド牧師の提案が起源とされます。▲その教会で6月のある日曜日に子どもたちや少年少女(ユース)のために特別なプログラムをつくり、子ども中心の集会を行ったのです。▲それが拡がり、1866年にはアメリカのメソジスト教会年次総会において、6月第2日曜日を「子どもの日」とし、少年少女たちの教会教育を強調する日として教会行事に加えることが決議されました。▲同時に、6月は「ジューン ブライダル」のように多くの花の咲く季節であることから、信徒が各々花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子どもたちに持たせて病院を訪問し、病人を見舞い、警察署や社会施設を慰問したのです。▲これらを通して、子どもたちに社会の繋がりや病院や施設にいる方がたのことを知り、奉仕と感謝を学ばせるものとして行われました。その後「花の日」と呼ばれキリスト教プロテスタントの日本宣教と共に日本に持ち込まれました。▲私も小学生の頃、この日にお花を持っていき、覚えているのは踏切の遮断機をおろす人の所に行ったこと。福岡有田教会時代は、近所の病院にお花を持って訪ねました。▲所沢教会でもコロナ前は「新所沢駅」や「消防署」に子どもたちと「お花」と日頃の感謝の言葉を携えてお訪ねしました。▲ただ日本で6月といえば昔、「お花」は「アジサイ」ばかりになりますし、雨が多いので5月頃に行うところもあります。▲ある教会では風船に花の種、そして手紙と御言葉のカードを添えて空に放ち、拾った方から手紙が返ってきたり、電話があったそうです。面白い試みであると感じました(風船は良く考えて放ってください)。▲「花の日」は(他の行事と同様) 律法的に考えることではありません。特に関連行事は行いませんが、今日覚えるのは、教会が子どもたちに聖書の精神(=信仰)を伝える大事な場所(一般の学校では有り得ない)であることです。▲所沢教会が「子どもたちを育てる教会」としてイエス様のお言葉を学び、伝える働きができるように覚えて祈ると共に、大人もまた育つ場です。(献)
週報巻頭言 2025年5月25日号 「49年目の教会組織記念日」
▲本日は「教会組織記念礼拝」です。▲多くの場合、教会が新たな地域への伝道を開始する時は、開始を決議した「母教会」と表現される教会の下で「伝道所」を開設します。「教会」と「伝道所」は名称が違っても、キリストの教会には変わりありません。▲その伝道所が育っていき、ある時に「教会組織」を決断します。この時に一番大事なことは、自分たちの「信仰告白」を作成することです。▲「信仰告白」について他の教会から意見を聞き、その上で伝道所は話し合い、修正・追加する場合があります。▲「信仰告白」は一度決まったら変更できないことはなく、後にその教会で改めて吟味され、よりふさわしい「信仰告白」への更新が求められます。▲所沢教会でも、改訂を行っております。▲これは個人の「信仰告白」も同じで、かつてバプテスマを受けた日の「信仰告白」と、年月が過ぎた後に書かれる「信仰告白」は変化し、より深化されていきたいものです。▲「信仰告白」(Credo クレドー)で有名なのが325年のニケア会議で定められたもので「使徒信条」として知られます(この会議の前後、いろいろな会議が行われて協議されており、歴史的にはいろいろなバージョンがあります)。私も中学生の頃はこの「信徒信条」の「言葉」を覚えていました。▲ただ、今改めて読むと、イエス・キリストの宣教内容がすっかり抜けていたり、ピラトだけがイエスを十字架につけたように記されていたり、教会や信仰者がこの時代と社会でどのように歩んでゆくのか、等が含まれていない点など不足を感じます。▲歴史的に大事な「使徒信条」であっても「絶対化」されてはなりません(「教会の約束」等も同様)。▲当教会は1976年、所沢伝道所総会にて「教会組織」を決議、3月に母教会の浦和基督(キリスト)教会総会の承認を得、5月30日(日)に近隣の教会代表者等20名が集い、所沢キリスト教会の「信仰告白」並びにその他教会に備えるべき規程等が審議され、教会として独立して歩むことに賛同が得られ、その直後「教会組織感謝礼拝」を行いました。◆この時の教会員は26名、初代牧師として岩波久一氏を「所沢キリスト教会牧師」として改めて招聘しました。今年は教会組織から49年目、来年は50周年記念です。(献)
週報巻頭言 2025年5月11日号 「ファミリーデーに寄せて(母の日も覚えて)」
▲本日は「ファミリーデー」です。伝統的には5月第二日曜は「母の日」とされ、教会で生まれた行事です。▲その由来は米国、ヴァージニア州のある教会で、長い間、教会学校で教えておられたジャービスという女性がおり、ある日曜日、教会学校の子どもたちに「あなたの父と母を敬え」という聖書の言葉を教えた後、子どもたちに「お母さんの愛に心から感謝する方法を考えてください」と勧めました。その時、ジャービスさんの娘、アンナはお母さんの話を感慨深く聞いていました。▲それからしばらくしてジャービスさんは天に召されます。娘アンナはお母さんが好きだったカーネーションをたくさん飾ってお母さんを偲びました。このことが列席者一同に感銘を与え、この話が共感され、拡がりました。▲母の日に私がいつも語ってきたこと、「『母の日』は自分の母親のことを思い起こす日。その思い出の中には嬉しい記憶もあれば、嫌な記憶もあるかもしれません。でもお母さんがなくては、今のあなたはいなかったのです。▲完璧な母親はいません。弱さや小ささ、醜さ、過ちをも抱えながら、「母」は「母」とされていきますし、神様はそういう『あなた』を慈しんでくださるでしょう」と。▲当教会が「ファミリーデー」の設定をしたのは、母親に対する記憶の辛さを思う方々がいる可能性、母親が複数いる、あるいはいない現実、それは「父」に対しても全く同様であり、「父の日」の設定もしていません。▲親子関係は子どもの人生を支配、従属させるものであってはいけません。良い親子関係を築いている方を多く知っておりますが、すべての人が幸いな関係性の中に生きているわけでもありません。▲私共は「創造主」に創られ、与えられた命を覚え、神様から「神の子」とされて愛される命を互いに尊び、神様が招いてくださる「神様の家族」として、愛と喜びの関係性の中で生きること、育ち合うことへと導かれています。▲そして、神様の建てられた教会と主が願う世界は、すべての者、つまり、どんな罪があろうとも、国籍民族も問わず、どんな状況にある者にも開かれ、世界の人々が愛を基盤とする平和な家族として生きることです。(献)
週報巻頭言 2025年4月20日号 「2025年イースターに寄せて」
▲「復活」に対する切望な祈りは世界各地で、そして、この地上を歩む私どもにとってどれほどの切実な思いを持ってなされています。▲命のよみがえり(あるいは地域の復活、人と人の関係性の復活、そして愛する者のよみがえり)への祈り。それら死の力、奪う力に対して今、厳粛な思いを持ちつつ神によって与えられた一つひとつの命の重さを思います。▲グスタフ・マーラー(1860-1911)の交響曲2番「復活」第5楽章で合唱とアルトがこう歌います。▲「生まれ出たものは滅びなければならぬ、滅びたものはよみがえなければならぬ。おののくことをやめよ、用意せよ、生きるための用意をせよ」と。命の死は命のよみがえりと結びつき、死ぬために、生きるために用意をしていく、私たちの生が問われていると思うのです。▲また4楽章では「神様から生まれた私はまた神様のところへ行くのです…永遠の 喜びの命にまで、私を照らしてくださるに違いない」とも歌われています。▲今日、イースター(復活祭)を共にお迎えできることを感謝いたします。▲ 命の尊厳と命が喜び生きるための福音を語り続けたイエス・キリストが、主イエスを必要としない人々により、あるいは人々から邪魔者として十字架刑により処刑されました。人間は力の勝利に酔いしれます。「神をも人間は支配できるのだ」と。▲しかし、イエス・キリストは、人が閉じ込め、大きな石で蓋した墓を開き、再び、我ら人間と共に生きるためによみがえったのです。そして生きる者と死せる者の主として今も生きて我らに働いてくださるお方なのです。▲命あるものは必ず死を迎えます。それがいつか、どのような状況においてか、誰も知ることはできません。▲その限界の中で人は与えられている「今」を生きることへと招かれています。死を知りつつ、生きるために、死ぬために、私たちは畏れつつ、今日の命を受け取る日々を、永遠の命を与えてくださる主の言葉を聞きながら過ごしていきたいのです。▲加えて「復活」とはこの世を去った方々だけのことではありません。この世に命を受けながらも、生きる意味がないと思い、魂が死んだような人々にも、他者との関係性が失われた人々にも、命の喜びと希望を主が与えてくださるのも「復活」です。「永遠の命」とは神が伴う命であり、今も、そして永遠に続きます。(献)
週報巻頭言 2025年4月13日号 「2025年受難週のガイド」
▲本日から「受難週」です。イエスさまの受難週の歩みを覚え、聖書を読むガイドです。*聖書箇所は参考で、いずれかの福音書を読めばよいです。日付は今年の日程。
▲日曜日(13日)…棕櫚(しゅろ)の日曜日。(パームサンデー、Palm Sunday)イエス・キリストがロバの子に乗ってエルサレムに入城し、多くの人々がイエスを新たな指導者として棕櫚の葉や自分の服を道に敷き、歓声をもって迎えた。(マタイ21:1-11、マルコ11:1-11、ルカ19:29-40、ヨハネ12:12-19)
▲月曜日(14日)…宮きよめの月曜。主イエスは神殿の境内で、神殿と結託し、犠牲の動物を高価で販売したり、献金用コインに両替する者たちを追い出した。「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである」。(マタイ21:12-17、マルコ11:15-19、ルカ19:45-48)
▲火曜日(15日)…論争の火曜。様々なしるしを行い、エルサレムの荒廃ぶりを嘆かれた。(マタイ21:18-19、23:37-39、マルコ11:12-14、ルカ13:34-35)
▲水曜日(16日)…ベタニアでナルドの香油をマリアから注がれる。主イエスはその行為を心からの献げものとし、また、葬りの備えと表現しました。その強い香りは凄惨な十字架上でも漂ったでしょう。(マタイ26:6-13、マルコ14:3-9、ヨハネ12:1-8)
▲木曜日(17日)…主の晩餐。イスラエルは陰暦なので日没から金曜になります。イエスは弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を行います。その後、オリーブ山のゲッセマネで祈っている時に逮捕される。エルサレム神殿議会での裁判では死刑、ローマ政府による裁判でピラトはイエスに罪を見出しませんが、人々が「イエスを十字架につけよ」と叫び、群衆の反乱を恐れてイエス死刑を決めました。(マタイ26:17-75、マルコ14:12-72、ルカ22:7-63)
▲金曜日(18日)…受難日。朝から自ら十字架を背負いゴルゴタの丘へ向かい、そしてはりつけにされる。15時にイエス死亡。死が確認され、十字架から降ろされ、ヨセフ議員の墓に埋葬されました。(マタイ27:1-61、マルコ15:1-47、ルカ22:66-23:56、ヨハネ18:28-19:38)
▲土曜日(19日)…沈黙の日。イエスの死体が盗まれないように番兵が見守る。主イエスはこの日、死の世界を歩まれ、墓の住民となりました。(マタイ27:62-66)
▲日曜日(20日)…復活。早朝イエスの墓に行った女性たちが天使からイエスの復活を聞く。主イエスはエマオ途上の弟子に伴い、弟子達にその傷ついた姿を示した。