週報巻頭言(随時)

週報巻頭言 2025年4月20日号 「2025年イースターに寄せて」

▲「復活」に対する切望な祈りは世界各地で、そして、この地上を歩む私どもにとってどれほどの切実な思いを持ってなされています。▲命のよみがえり(あるいは地域の復活、人と人の関係性の復活、そして愛する者のよみがえり)への祈り。それら死の力、奪う力に対して今、厳粛な思いを持ちつつ神によって与えられた一つひとつの命の重さを思います。▲グスタフ・マーラー(1860-1911)の交響曲2番「復活」第5楽章で合唱とアルトがこう歌います。▲「生まれ出たものは滅びなければならぬ、滅びたものはよみがえなければならぬ。おののくことをやめよ、用意せよ、生きるための用意をせよ」と。命の死は命のよみがえりと結びつき、死ぬために、生きるために用意をしていく、私たちの生が問われていると思うのです。▲また4楽章では「神様から生まれた私はまた神様のところへ行くのです…永遠の 喜びの命にまで、私を照らしてくださるに違いない」とも歌われています。▲今日、イースター(復活祭)を共にお迎えできることを感謝いたします。▲ 命の尊厳と命が喜び生きるための福音を語り続けたイエス・キリストが、主イエスを必要としない人々により、あるいは人々から邪魔者として十字架刑により処刑されました。人間は力の勝利に酔いしれます。「神をも人間は支配できるのだ」と。▲しかし、イエス・キリストは、人が閉じ込め、大きな石で蓋した墓を開き、再び、我ら人間と共に生きるためによみがえったのです。そして生きる者と死せる者の主として今も生きて我らに働いてくださるお方なのです。▲命あるものは必ず死を迎えます。それがいつか、どのような状況においてか、誰も知ることはできません。▲その限界の中で人は与えられている「今」を生きることへと招かれています。死を知りつつ、生きるために、死ぬために、私たちは畏れつつ、今日の命を受け取る日々を、永遠の命を与えてくださる主の言葉を聞きながら過ごしていきたいのです。▲加えて「復活」とはこの世を去った方々だけのことではありません。この世に命を受けながらも、生きる意味がないと思い、魂が死んだような人々にも、他者との関係性が失われた人々にも、命の喜びと希望を主が与えてくださるのも「復活」です。「永遠の命」とは神が伴う命であり、今も、そして永遠に続きます。(献)

週報巻頭言 2025年4月13日号 「2025年受難週のガイド」

▲本日から「受難週」です。イエスさまの受難週の歩みを覚え、聖書を読むガイドです。*聖書箇所は参考で、いずれかの福音書を読めばよいです。日付は今年の日程。
▲日曜日(13日)…棕櫚(しゅろ)の日曜日。(パームサンデー、Palm Sunday)イエス・キリストがロバの子に乗ってエルサレムに入城し、多くの人々がイエスを新たな指導者として棕櫚の葉や自分の服を道に敷き、歓声をもって迎えた。(マタイ21:1-11、マルコ11:1-11、ルカ19:29-40、ヨハネ12:12-19)
▲月曜日(14日)…宮きよめの月曜。主イエスは神殿の境内で、神殿と結託し、犠牲の動物を高価で販売したり、献金用コインに両替する者たちを追い出した。「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである」。(マタイ21:12-17、マルコ11:15-19、ルカ19:45-48)
▲火曜日(15日)…論争の火曜。様々なしるしを行い、エルサレムの荒廃ぶりを嘆かれた。(マタイ21:18-19、23:37-39、マルコ11:12-14、ルカ13:34-35)
▲水曜日(16日)…ベタニアでナルドの香油をマリアから注がれる。主イエスはその行為を心からの献げものとし、また、葬りの備えと表現しました。その強い香りは凄惨な十字架上でも漂ったでしょう。(マタイ26:6-13、マルコ14:3-9、ヨハネ12:1-8)
▲木曜日(17日)…主の晩餐。イスラエルは陰暦なので日没から金曜になります。イエスは弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を行います。その後、オリーブ山のゲッセマネで祈っている時に逮捕される。エルサレム神殿議会での裁判では死刑、ローマ政府による裁判でピラトはイエスに罪を見出しませんが、人々が「イエスを十字架につけよ」と叫び、群衆の反乱を恐れてイエス死刑を決めました。(マタイ26:17-75、マルコ14:12-72、ルカ22:7-63)
▲金曜日(18日)…受難日。朝から自ら十字架を背負いゴルゴタの丘へ向かい、そしてはりつけにされる。15時にイエス死亡。死が確認され、十字架から降ろされ、ヨセフ議員の墓に埋葬されました。(マタイ27:1-61、マルコ15:1-47、ルカ22:66-23:56、ヨハネ18:28-19:38)
▲土曜日(19日)…沈黙の日。イエスの死体が盗まれないように番兵が見守る。主イエスはこの日、死の世界を歩まれ、墓の住民となりました。(マタイ27:62-66)
▲日曜日(20日)…復活。早朝イエスの墓に行った女性たちが天使からイエスの復活を聞く。主イエスはエマオ途上の弟子に伴い、弟子達にその傷ついた姿を示した。